BABYMETALとさくら学院に出会った

いろんなテーマで、BABYMETALとさくら学院への愛を語ります。

2016年6月のこと。~キャンディーズとBABYMETAL~

2016年5月の終わりにBABYMETALに関するいくつかの重要な情報のリリースがあり、6月前半にはワールドツアーの舞台はヨーロッパに移りました。

 

BABYMETALは6月前半にスイス~オーストリア~オランダ~ドイツとツアーを廻ったのち、6月10日イングランド・レスターシャーと6月11日フランス・パリの2都市でおこなわれたDownload Festivalへ出演でワールドツアーの一つの区切りを迎えていました。イングランドでのステージから、感動的な「KARATE」の映像をYoutubeで確認する事ができます。僕はPeriscopeで現地のファンから配信される動画をリアルタイムで観ていました。スマートフォンで撮影された映像でもその演奏のクオリティの高さは明らかで、巨大な会場を巻き込み一つにしていく勢いとダイナミズムも充分に伝わってきました。

 

一方で僕は相変わらずBABYMETALをめぐる「知の旅」を続けていて、このころずっと考えていたのはBABYMETALとキャンディーズの共通点についてでした。以前のエントリでも書いたとおり、BABYMETALを知った初期の頃から僕の頭の中にはキャンディーズがありました。それはヘヴィメタルのバックボーンが無かったりグループアイドルに詳しく無かった自分が、「BABYMETALに繋がる存在」として唯一イメージできたのがアミューズのPerfumeから源流に遡ったキャンディーズだったという事なのかも知れません。多少強引だとしても、BABYMETALの素晴らしさを咀嚼し理解していく過程で「元々自分が好きなもの」と共通する点を見出したことは意味あることだったと思っています。

 

そもそも僕はキャンデーズのリアルな世代ではないのですが、昭和50年代生まれなので幼い頃から普通に名前は知っていました。本格的に聴き始めたのは2007年頃で、きっかけはeastern youthの吉野寿さんがキャンディーズを「FUGAZIと同列で聴いている」と凄まじい表現で評価していたこと。2011年に田中好子さんが亡くなり、追悼としてNHK BSで放送された『わが愛しのキャンディーズ』(2006年初回放送)という番組を観たことで更に興味が湧きました。これは今思えば『BABYMETAL革命』を観たことで一気にBABYMETALに嵌まっていった状況にもよく似ています。全てのオリジナルアルバムをパッケージングしたBOXセットを購入し楽曲を聴き込むと、そのクオリティと先進性には驚きと感動を覚えるばかりでした。

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 BABYMETALに出会ったころ、真っ先にキャンディーズとの共通点として思い浮かべたのは、ライブでの演奏を支えるバンドのことでした。BABYMETALは2010年11月のさくら学院祭で初めてライブを行い、2年後の2012年10月には「I、D、Z ~LEGEND “I” 〜」で初めて神バンドをバックにパフォーマンスをしています。それから現在に至るまで、BABYMETALが紡いできた物語には神バンドの存在が不可欠だったことは改めて触れるまでもないと思います。

 

キャンディーズのデビューは1973年。初期の映像ではスマイリー小原とスカイライナーズなどをバックに歌番組に出演しているのが確認できます。1975年、当時マネージャーであった大里洋吉氏(現アミューズ会長)はキャンディーズに専属のバックバンドをつける事を考えます。それが元ワイルド・ワンズの渡辺茂樹氏が率いるブラスロック・バンド、MMP(ミュージック・メイツ・プレイヤーズ)でした。

 

大里氏がMMPをバックにつけたかった理由は、ライブアクトとしての底力をつけキャンディーズを “ミュージシャン” として育てたかったからだと思われます。そして、BABYMETALが「ホンモノ」のバンドをバックに据えて観客に本気のヘヴィメタル・サウンドを体感させてきたように、MMPの抜擢によってキャンディーズのコンサートを本気のブラスロック〜ファンク・サウンドを体感できる場にしたかったのだと思います。

 

「大里さんがマネージャーになってから何が変わったかって言えば、ライブを重視するグループになったていうこと。ライブっていうのは、見せて格好良くなきゃいけないって」 

(松崎澄夫氏/プロデューサー・元アミューズ代表取締役社長 )【出典:CANDIES HISTORY ブックレット「探し求めたハートのエース」米山智美著 より】 

 

1975年8月の「日劇ウェスタン・カーニバル」で初めて舞台を共にしたキャンディーズとMMPは同年10月に当時の蔵前国技館で10000人規模のコンサートを、翌76年には全国62公演のコンサートツアーをおこないました。これは当時のアイドル・タレントとしては異例の本格的な、今でいう “ガチの” 音楽活動でした。1976年10月には1年前と同じく蔵前国技館でコンサートをおこなっていますが、その冒頭のメドレーをYoutubeで聴くことができます。恐らく客席で録音した音源に音楽番組などの映像をスクラップしたものですが、ティナ・ターナーのバージョンの「Proud Mary」で始まり、テンポも曲調も目まぐるしく変わるこのメドレーの内容とテンションは凄いです。(76年10月の国技館コンサートは、現在デジタルミュージック化もされているようです)

 


 1年以上のツアーを経験したライブアクトとしてのキャンディーズ&MMPの力量がよく分かる音源だと思います。BABYMETALもキャンディーズも、あくまでライブの現場を大切にするという制作サイドの考え方が一貫していますし、「3人の少女の音楽的才能が、確たる技術を持つバンドと経験を積んだことによって爆発的に開花した」というストーリーは、僕の中ではとても近いもののように思えました。

 

バンドとの活動の他にも、2つのグループで似ていると思えることは幾つかあります。例えば、カテゴライズの壁を打ち破るような挑戦的な楽曲を妥協せずに本気で作ったこと。主役である「少女たち」を周囲の大人たちが子供扱いせず、ちゃんとその個性をリスペクトして接したこと。それどころか、周囲の大人たちこそが彼女たちの一番のファンであったこと。或いは、意図したもの・そうでないものがあるにせよ、常に物語性というものが付きまとっていたこと。それがファンをも巻き込んだ大きな渦となって芸能史に残る伝説を築き上げていったこと。

 

デビュー当時には「2拍3連もとれなかった、音程を掴むのにあんなに苦労していたキャンディーズ」(樋口雄右氏/作曲家)が、800人の山野ホールでの初コンサートから4年後、5万人の観客に囲まれて、イヤモニは勿論モニタースピーカーすらろくに設置されていない後楽園球場のセンターステージで「微笑がえし」を完璧に歌いあげる姿は、目黒鹿鳴館でのライブから僅か4年後に東京ドームで「ド・キ・ド・キ☆モーニング」を歌うBABYMETALとどこか重なる部分があります。

 

他の要素に関しても書き始めればまだまだいくらでも書けてしまうのですが、長くなり過ぎてしまうのでこの辺で一旦終わりたいと思います。下記リンク先の日経の記事は田中好子さんが亡くなって一ヶ月ほどして書かれたものですが、キャンディーズの功績がとてもコンパクトにまとまり、BABYMETALとの共通点も見出しやすく面白いです。


品田英雄さんのこの文章で僕が最も頷けたのは、キャンディーズが音楽の質を追求しそれを高い次元で具体化した結果、多くの人がアイドルというものに対する見方を変え、客層が変わったというところでした。そしてそれをBABYMETALに置き換えてみれば、ベビメタに魅了された結果、メイトとしてだけでなく今や父兄としての道も歩みだしている僕自身もまさに「変わった客層」の一部なのだと実感できるのです。