BABYMETALとさくら学院に出会った

いろんなテーマで、BABYMETALとさくら学院への愛を語ります。

突然いなくなってしまった人のこと。

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※予定していた内容を変更して書きました。とても個人的な内容ですので、興味の無い方は捨て置いて頂けますと幸いです。

 

1月9日の夜。仕事が早く終わり帰宅してTwitterをぼんやり眺めていました。初めにその報を目にした時は間違いなくイタズラだと思いましたが、そう思いつつも心臓が早鐘のように鳴るのを感じていました。1時間経っても、アカウントが乗っ取られたという報告と謝罪の言葉は投稿されませんでした。マスコミ関係者のつぶやき。ミュージシャン仲間のつぶやき。そして、タイムラインは戸惑いと悲しみに溢れていきました。僕は、ようやく、藤岡幹大さんが亡くなったことを受け入れざるを得なくなりました。

 

こういう全く予期しない、突然すぎる別れを、僕はこれまでにも経験しています。

 

僕は3人兄弟の長男です。3人とも小さな頃から音楽が好きでしたが、特に僕と次男は中学生くらいから自分でCDを買い始め、いろいろな音楽を聴いてきました。始まりは両親に買ってもらったビートルズの全アルバムBOXセット。それからディランやクラプトン、ストーンズなど60年代~70年代のロックミュージックを聴き、高校生の頃には更にそのルーツであるブルーズ、そこからジャズ、大学生になるとジャズと並行して現在進行形(90年代半ば~)の音楽。90年代~00年代の音楽は様々に雑食し、僕はBen Harperをはじめとするフォーキーで長いインプロビゼーションが聴ける音楽、弟はより「黒い」、ハウスミュージックやデトロイトテクノに傾倒していきました。

 

二人で音楽の話を始めると、何時間でも喋っていられました。詳しい知識はなかったけれど、お互いに「おめーのことは認めてるが、音楽を楽しむことにかけては俺の方が優れてる」と妙なライバル意識を持って、自分の好きな音について熱く語っていました。弟は “音を捉える” ことについては天才的といってもよく、20代前半からDJをやっていましたが、パーカッションのフィールドレコーディングをイントロにディープハウスで始まりディスコクラシックからいきなりジャニス・ジョプリンの「Maybe」をぶち込んでアイザック・ヘイズで〆る、といったMixを、それが全部繋がっていることを本能的に解っていてやるような男でした。高校生の頃までは色んなことを僕が弟に教えていたのに、一度追い抜かれてからはあっという間に追いつけない場所を走っているようでした。僕はそれに嫉妬し、同時にそれが爽快でもありました。

 

弟が突然自分で命を絶ったのは、今からおよそ8年前、彼が29歳だった時のことです。何も遺さず、子供が癇癪を起しておもちゃを壊すみたいに、ふわっとこの世から居なくなってしまいました。

 

実家で弟と対面した僕の口からは、「なんで?」という言葉しか出てきませんでした。ほかの家族が部屋から出て二人になったとき、僕は入ってこい、入ってこいと弟に強く呼びかけ、髪の毛を少しハサミで切り、拝借しました。その時に直感的に決めたのは、あいつが今までより近くにいると意識しよう、ということでした。悲しみと混乱の中でしたが、不思議と近くにいてもらえると確信できました。髪の毛はのちにジャー型のペンダントに入れ、末っ子と二人でしばらくの間身に着けていました。

 

葬儀はおこなわず、近しい友人を招いて酒を呑みいろんな話をしました。一緒に行ったフェスのこと。パーティーでの失敗談。弟がどれほどダメで、どれほど愛されていたか。家族は知らなかった弟のエピソード。その時間が残された家族にとってとても貴重なものでした。弟のヴァイナルコレクションのほとんどをDJ仲間たちが受け取ってくれました。誰かが突然いなくなってしまったとき、その人がどんな人だったかを残された人たちで話すのは大切なことです。僕らは弟と交流のあった人と出来るだけたくさん会って、知らなかった弟の話を聞かせてもらい、彼らに弟が幼かった頃の話をしました。そうすることで弟は、僕らの中でいつまでもいきいきと、ダラダラとしているような気がします。

 

 時間が経ち今はこうやって振り返ることができますが、当時は本当に絶望と不安しかありませんでした。あの時の家族の気持ちはたぶん、言葉ではうまく表現できません。ただ、僕らは無理に気持ちをコントロールすることはしないようにしていました。悲しいときは悲しむし、楽しいときは笑う。日常の中で楽しめるものは遠慮せずに享受し、常に弟が傍でそれを一緒に楽しんでいるんだ、と信じていました。そして、僕個人にとっては、音楽を通じて弟と繋がっているように感じられたのが大きな救いでした。弟のMix Tapeを聴くとき、ライブでバンドの音を浴びているとき、フェスで酔っ払っているとき。僕はいつも弟の存在を近くに感じることができました。「師匠を背中に感じながら」という大村さんの言葉を、僕はスピリチュアルなものではなく、実体験として理解することができます。

 

僕は弟が亡くなってからも音楽を聴き続け、音楽の現場に通うことを続けていましたが、ここ数年は00年代前半までのように音楽に熱くなることは少なくなっていました。古い音楽は相変わらず魅力的だけど、現役のミュージシャンにあの頃のように興奮することはなくなっていました。それをひっくり返してくれたのは、BABYMETALでした。今になって、こんなにも追いかけたくなるアーティストが出てくるなんて、2年前までは想像していませんでした。最高の音楽を鳴らし、世界中を魅了して。しかもそれが、日本人で、フロントに立っているのが10代の女の子たちだなんて。

 

BABYMETALのことを、おまえと話し合いたかったな。ほんとにヤバいんだ。俺はもう完全にやられちゃってるんだ。おまえのいる場所で、BABYMETALのギターをやっていたという人にもし出会ったら、兄貴が大ファンです、と伝えてね。それから、何十万人という世界中の人たちが、「後のことは心配しないで」と言っていることも。その人は、BABYMETALの音を支えていた凄いギタリストなんだ。メタルだけじゃない、ジャズもプログレもやれる。機会があったらその人にギターを弾いてもらいなよ。きっとブッ飛ぶよ。